中高一貫校で高校に進学した息子は1年生の前半で退学しました

中高一貫校を退学

前回の記事から半年以上も経ってしまっていました

正直、私自身の気持ちが落ち着かず、ずっとモヤモヤしていた状態でして・・・

中学受験をし、第一志望の中高一貫校に入学しましたが、高校1年生の前半で退学しました。正確に言うと、通信制高校への転学です。

(息子はADHD(不注意型)の発達障害です。)

 

やっと我が家の中の歯車が回り始め、私も落ち着いた所なので、少しずつ経緯を書いていきたいと思います。

 

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目次

中学校3年生のとき

中学2年生の終わりごろから不登校になり始めた息子。

朝起きることができず、中3になると、かなり学校を休みがちに。

定期テストも全部受けることが出来なかったり、もうめちゃくちゃな状態でした。

 

親子のバトルも激しくなり、最悪、警察を呼んだ方がよいかも!と思ったこともありました。

学校へ行かず、勉強もせず、ゲームばかり要求してくる息子。

 

「このまま高校進学をしても続くわけがない、入学金も無駄になるから、このタイミングで進路を変更しよう」と夫婦の意見は一致していたのですが、息子は頑なに「このまま高校へ進学する」の一点張り。

 

学校側としては、成績、不登校に関係なく、希望すれば高校への進学はできる。しかし、高校は義務教育ではなく「単位」の条件があるため、中退する可能性はあるということでした。

こんな状態で高校受験なんてするわけもないし、もう進路を決めなくてはいけない時期だった2月。

 

息子
息子

高校行ったら頑張れそうな気がする。行かせてください。

 

 

と言った息子。

まぁ、ウソではなく、その時は本当にそういう気持ちであったとは思うのですが、言ったことを守れないのが息子。今の環境を変える勇気がないということもわかっています。

 

中学受験の6年生でも、塾を休んで行かないにも関わらず、「受験はしたい」と言い続けた息子。塾の先生からは、「本人の意思を尊重してあげて下さい。親が勝手に決めたら後々に残りますよ」と言われことがあります。

そこで親としても思いとどまったのですが、やる気スイッチが入ったのは一度入試で落ちてからという遅さでした。

でも、当時は逃げずに頑張ってやり遂げましたが、今の状態は完全に逃げを選択しているとしか思えないんですよね。

 

祖父母や担任の先生とも相談し、やはり本人の意思を尊重しないと「親が勝手に決めた。親のせいだ」となりかねないので、そのまま付属の高校へ進学することに決めました。

失敗しないと気がつかない子、いくら事前に周囲が色々と言っても、息子はその時の気持ちで動くため、向き合う時もあれば、逃げたり、先延ばしにすることもわかっている上での選択です。

 

もちろん、息子には高校進学することについての約束も色々と決めました。

約束を守れない、守るのは最初だけ・・・というのも想定内なんですけどね・・・。

 

わたし
わたし

今までも「やるやる詐欺」だったし・・・

 

付属の高校へ進学

とりあえず、手続き上のみで高校進学をすることはできました。

 

わたし
わたし

学校がもう一度チャンスをくれたことを忘れないように!

中3の担任から、次の担任の先生にも引継ぎをして下さり、中1からずっと学年を引っ張ってくれている先生方もいるので、息子からしても環境はほぼ変わらないという安心感はあったと思います。

 

4月から、朝起こせばスカッと起きて自転車で駅まで行き、学校生活を送ってくるという日がスタートしました。

 

わたし
わたし

やっと久しぶりの学校生活だ~。

保護者会でも、中3の時の担任の先生も気にしてくださっていて、「元気に来れていますね!」と声をかけてくださいました。

どん底生活から私も開放されたけれど、長続きはしないだろうな・・・という想いと、心機一転頑張ってくれるかなという淡い期待がこの時は入り混じっていました。

 

高校生活をスタートして・・・

息子のスクールライフはどれくらい続いたでしょうか・・・?

 

なんとですね・・・

 

たったの1週間です!!!

 

頑張っていたみたいですが、1週間で電池が切れました・・・

だんだんと朝の起き具合が怪しくなり・・・

また逆戻りに。

 

わたし
わたし

まだ4月なんだけどぉ。

もう呆れましたね。

 

高校は単位取得の条件がある

ここから、再び担任の先生と電話連絡の日々。

年間で1/3以上の欠席がある授業は単位の取得ができない、成績の最低条件があるなど、息子の態度を見るとすでにヤバイのでは?という状態に入り始めていました。

 

学校側もかなりフォローしてくれていましたが、やはり高校は義務教育ではありません。

息子自身が動かなければ先生たちも、どうにもできない状況です。

 

息子は中間テストを逃げました。受けなかったんです。授業に出ていないんだから自信もないですよね。

そしてラストチャンスの期末テストに向けて授業に参加することもせず、勉強もしませんでした。

 

ここで「もう今の高校にはいられない」と決断することにしました。

学校側からは一切、退学をすすめるようなことはなく、他の学校へ移るにしても、留年を選択するにしても本人の意思を尊重するという姿勢だったので、親へのプレッシャーがなかったことは、救いでした。

 

高校1年生の夏、転学することに

ここまでくると、息子自身も「このまま今の学校にいられない」ということは受け入れていたようです。

途中から、勉強に追いつけないし、そんなに頑張れないということでした。

 

わたし
わたし

数か月前に決断してほしかった。入学金が・・・

という親の気持ちではありますが、息子自身、自分で納得しての決断だったので、荒れることもなく、逆に穏やかになっていたと思います。

本当に無駄な遠回り・・・

 

次への一歩

そして、通信制高校へ転学することになりました。

今はものすごーく穏やかになって、びっくりしています。

反抗期ではありますが、気持ちが楽になったようです。

 

そして、お金の話になってしまいますが、わが家は裕福でもなく、普通の一般サラリーマンの家庭です。

こんな遠回りをして、わが家のお金に余裕がないことは息子自身も知っています。

付属高校への進学に関しては、祖父母と息子がある約束をして、入学金を援助してもらいました。

私たち夫婦だけだったら、息子が途中で退学するということは予測していたことなので、最初から高校は通信制高校を選ぶつもりでいました。

 

そんな大事なチャンスをもらい、周囲に支えられてきた中で、息子には学歴のこと、将来のことも話をしてきました。

親としても「もったいない」という想いはもちろんありますし、続けられるようにサポートをしてきたつもりでもあります。

 

しかし、息子自身も、入りたくて入った学校で、辞めたいわけではない。でも朝起きる自信もないし、勉強も頑張れない。という本音を言いました。やはり発達障害という特性もあり、頭と体がかみ合わないこともわかっています。

 

中3で不登校でどうしようもなく、私自身も中学受験の時にように「なんとかしなければ」と必死になってしまい、親子バトルが激化したこともありました。

 

わたし
わたし

中学受験の時に親業訓練したのに・・・。息子の態度に耐えられない!!と余裕をなくした私。再びバトルで、やっちまった感はあります・・・。

 

そのため、息子が荒れましたが、今は通信制高校に場所を変えて、わが家では新しい一歩になりました。そして息子の次なる問題は将来の選択ですね。生きていく力を身につけてもらわないとなと思っています。

 

ざっくりダイジェストになっていますが、細かい出来事はたくさんあったので、振り返りながら少しずつ書いていこうと思います。

ありがとうございました♪

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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