私の自己紹介ページに息子の様子を書こうと思ったところ、かなり長くなってしまったので、ページを分けて独立させることにしました。
発達凸凹の息子のダイジェストを書きましたので、気になる部分だけ、目次から拾い読みしていただければと思います。
赤ちゃん時代
生まれた時から寝ることに関しては手がかかりましたね。
夜もお昼寝もすんなり寝ない、抱っこしないと寝ない、そっとおろすと起きて泣く・・・。
眠いなら自然に寝てよぉ~
結局、抱っこしたまま寝ることがほとんどでした。
抱き癖がつく・・・とよく言われ、いつか泣きつかれて寝るだろうと思いきや・・・手ごわい息子。寝ないし・・・。泣き続けるし・・・。
初めての育児で自分なりに一生懸命やっていましたが、周囲の子育てとの違いに戸惑いまくりでした。
いつまでも「抱っこ」というわけではないので、抱き癖がつく・・・なんていうことはないと思います。
いまだ寝ることに苦戦している息子なので、何かを訴えていたのかな、こだわりだったのかな・・・
幼稚園あたり
小さい頃は、好奇心旺盛で電車大好き、ものすごい記憶力、よくしゃべる子でした。児童館では「貸して」を言う前におもちゃを取ってしまい、あちこちでトラブルを起こしまくり。私はずっと見張っている状態で、気が休まらず・・・。
幼稚園入園後、お友達とも遊び、よく笑い、どんどん成長。しか~し、過集中だったり、気持ちの切り替えができないこともちらほら。
そして、お迎えに行くと、女子たちからは「〇〇くんのおかあさ~ん、〇〇くんに嫌なことされた~」と報告大会になっていました(泣)
広報誌などで「発達障害」という言葉を見かけるようになり、「チェックリストの当てはまる項目も多いし、もしかして???」と頭をよぎったのが、この頃でした。
小学校低学年
クラスの男の子と取っ組み合いの喧嘩をするようになり、役員を引き受けてしょっちゅう、学校へ様子を見に行っていました。(息子がちょっかいを出して相手を怒らすことも、その逆もありで・・・)
小学校2年生の時、担任から「発達相談に行ってみてはいかがでしょうか。」と面談で言われ、ただの「やんちゃ」ではないな・・・と感じました。
その後、半年待ちで脳神経の小児科を受診し、様子見ということに。お友達とも仲良く遊びもしますが、周囲が精神的に成長していく中で、息子の行動はまだまだ幼い部分があったように思います。
息子は理科が大好きで「昆虫博士」と言われ、小学校の先生たちも息子の良いところをフォローしてくれたので、親として救われました。
小学校高学年(中学受験)
私自身が中学受験を経験していたので、なんとな~く子どもたちが低学年のころから意識をして家庭学習をしていました。公立中学の内申点の不安もあること、私立中の文化祭で息子が気に入った学校を見つけたことで、中学受験をすることに。
息子は塾(日能研)は嫌いではなかったものの、苦手な国語はやらず、算数と理科ばかり。
しかし、5年生の後半からは突然、朝起きることができない・気持ちの切り替えができない日が多く、不登校になりました。
小学校6年生の春には塾を休会したり、受験も継続するかどうかで揉めまくり、バトルの日々。(親としてはもうやめてほしい。息子はやめたくない。行きたい・目指したい学校があるから。)
再度、脳神経の小児科を受診し、薬を服用したり、色々と試しつつ塾を継続。小学校も遅刻しながらでも登校。
学校も塾も行ってしまえば「楽しかったぁ~」とニコニコで帰ってくるのですが、行くまでの足取りが重かったんですよね。
今思えば、発達凸凹で気持ちの切り替えができなかったんだろうなぁ。
学校や塾へ送ったりしながら、あの手この手でなんとか過ごしていました。
病院の先生から知能検査(ウィスクⅣ)の話があり、受けたところ・・・
凸凹があることで息子の得意、不得意を知りました。(ADHD、自閉スペクトラム症)
「私の関わり方が悪かったのだな」と私自身が気がつき、息子のことを前向きに受け入れなくてはと思った時でした。
中高一貫校(中学時代)
結局、息子の意志を尊重し、中学受験を最後まで走り抜けて4年生の時からずっと決めていた第一志望の私立中学に合格。しかし、中学の途中から不登校になり、コロナ禍もあったりで、すったもんだしました。
コロナ禍で自宅にいる時間が多く、当時、オンラインゲーム(フォートナイトやマイクラ)を友達とはまり、深海魚に・・・。
小テストは短期集中記憶がよいためクリアするのですが、継続してコツコツやることができず、嫌いな科目は頭に入ってこないようで・・・。
学校が再開してからも、生活リズムが狂いまくり、高校進学についても赤信号に。
家庭教師にお願いしたり、私が必死でした。
せっかく掴んだ学校を手放したくない!!
息子の特性もわかっているつもりで、中学受験の時に心を広く持とうと思っていた私でしたが、この時期は焦りと何とかしなきゃ!という気持ち、学校にしがみつくことに私が必死過ぎて、親子バトルが激化しました。
中学3年生の時ですね。
結果、息子は妹に当たり散らし、家の壁に穴があき、二次障害で引きこもりに・・・。
思春期・反抗期・私の対応の悪さなどで息子の行動がぐちゃぐちゃ、私も頭ではわかっているけれど、焦りや不安などで感情が追い付かず、葛藤し、最悪の対応・・・。
こんな子育てがしたかったんじゃない・・・
私の中で一番苦しかった時期ですね。息子を笑顔にするのも、壊すのも私だ・・・。と葛藤しまくりでした。
勝手に私のレールに息子を引っ張ってきたんだ・・・。
息子そのままを受け入れなきゃ。
私の考え方を変えたこと、そのままの息子を受け入れたことで、息子との関りが少しずつ変わってきました。
中高一貫校(高校)・通信制高校
本人の希望でそのまま付属の高校へ進学しましたが、やはり朝起きることができず、登校が続きませんでした。
次なる進路について色々と調べたり、合同説明会に参加し、学校選びをするために情報収集し、高校1年生の夏に通信制高校の5日制に転学しました。
正直、私の中で通信制高校は他人事だと思っていましたが、息子の状態を理解してくれて受け入れてくれる学校に救われました。
息子も心にゆとりがでてきたのか、笑顔が増え、外出も増えていきましたね。
高校は卒業しないと!と思っているから、大丈夫。
何が大丈夫なのかわかりませんが・・・、自由人です。でも、自分なりにやらなきゃいけないことからは逃げなくなりました。
数年かかって親子関係が回復しましたが、気持ちの切り替えができない、朝起きれない、過集中、我慢ができないなど、生活面で苦労しています。
ただ、思春期も落ち着いたからか、環境が変わったからか、息子も本音で、困っていること、できないこと、思っていることなど、穏やかに話すようになり、親子バトルはなくなり、急に頼もしく感じる部分もちらほら。
アルバイトも経験し、少しずつ、社会へ踏み出している姿を見ると、くねくねした道のりでしたが、成長を感じられます。
日常生活でも自分の得意・不得意を受け入れつつ、共通の趣味で知り合ったネット仲間も増え、友人関係も良好、楽しそうに生活しています。
これから
まだまだ途中過程。これから「自立」していってもらわないといけないので、フォローが必要です。
学業に関しては色々とありましたが、幸せに生きていくための「自立」を願っています。