過干渉?サポート?わが子が桃太郎だったら母はどうする?

ふと、考えたことがあったら深い振り返りになったことが…。
もし、わが子が桃太郎で、
息子今から、ちょっくら鬼退治へ行ってくる!
と言い出したら、私はどうするだろう?
我ながら変な想像ですが、真面目に考えてしまいました。たぶん、黙って「行ってらっしゃい」とは言えなかっただろうな…。
わが子が桃太郎だったら、きっと質問攻め
当時の私なら、状況を確認したくなるはず。
- いつ、誰と行くの?
- 鬼ヶ島までどうやって行くの?
- ケガをしたらどうするの?
- 持ち物はちゃんと準備した?
- そもそも、鬼ってどんな鬼なの?
- 敵について、ちゃんと調べた?
- 勝ち目はあるの?
次から次へと質問して、最後には、
わたしちょっと待って! 母も行くから!
と、完全武装で同行しようとしていたかもしれませんね。今考えると、過保護? 過干渉? それとも、ただの心配性?
でも、当時の私にとっては、笑い話ではなかったんですよね。
わが子が、ある程度の見通しを持って行動できる子なら、もう少し任せられたかもしれないけれど、そんな状況ではなかった子育て。
発達凸凹のある息子は、目の前のことに気持ちが向きやすく、先の見通しを立てるのが苦手。気分で動くこともあり、計画性があるとはいえませんでした。
かといって、失敗しても何度でも立ち上がるような、強い精神力があったわけでもない…。このまま鬼ヶ島へ行かせたら、鬼に負けて自信をなくしてしまうんじゃないか。
そんな心配が先に立ってしまっていました。もちろん、失敗から学ぶこともありますが、でも、取り返しがつかないほど傷つく経験まで、あえてさせたいわけではない。
それが、親としての本音でした。
わたし私が失敗したくないという気持ちが強かったんだと思うんだよね。
中学受験が終わっても、親はなかなか手を離せない
桃太郎の話なら笑えますが、子どもが成長していくにつれて、親がどこまで関わるかという問題は、だんだん深刻になっていきます。自走と伴走について、よくSNSでも話題に。
中学受験は、まだ親が関わる場面も多い時期です。(中には、自走していらっしゃるお子さんもいますが。)
勉強の進み具合を確認したり、スケジュールを一緒に考えたり、志望校選びをサポートしたり。
そして、中高一貫校への入学後。
私は、「先回り」と「サポート」の境目がわからなくなりました。
「本人に任せればいい」と言われても、それだけでは済まないこともある。任せていたら日常生活がまわらないっ!
「親は離れて、失敗させてください」と言われたけれど…
中高一貫校に入学して間もない頃、学校の保護者会で、こんなお話がありました。
「親はお子さんから離れてください。失敗させてください」
自分で考え、自分で行動し、失敗から学ぶ。
子どもの自立を考えれば、確かに大切なことですし、頭ではわかります。でも、私は内心、ビビっていました。
わたし失敗させたら、この学校にいられなくなっちゃうんじゃない?
息子は、得意なことでは力を発揮するし、人とのコミュニケーションも取れる。
でも、気持ちの切り替えが苦手で、苦手なことからは逃げがち。目の前のことに気を取られ、提出物が間に合わないこともありました。
だからこそ、親がサポートしながら精神面が成長していけば、少しずつ自分でできるようになるのではないかと思っていました。
でも、進学校のスピードは、私が想像していた以上に速く、息子の成長が間に合わなかったし、私のサポートも受け入れなくなっていったんです…。
勉強だけでなく、生活そのものが回らなくなっていきました。
親が先回りしすぎると、子どもが自分で考える機会を奪ってしまうというのもわかっていましたが、息子の場合、「任せる」と「放っておく」の境目は、そんなに簡単ではありませんでした。
子どもから助けを求められるまで、待つべき?
子どもが困るまで待つ。
本人が助けを求めてきたら、そこでサポートする。
それも、一つの方法だと思います。
ただ、親が見守っている間に、子ども自身では立て直せないところまで状況が悪化してしまったら?
本人が困っていることに気づいていなかったり、困っていても、どう助けを求めればいいかわからなかったりしたら?
そう考えると、私はなかなか手を離せませんでした。
「もう中学生なんだから、自分でやらせなきゃ」
そう思う気持ちと、
「でも、今のこの子に全部任せて大丈夫なの?」
という気持ち。
その間で、ずっと揺れていたように思います。
過干渉とサポートに、明確な境界線はなかった
今振り返って思うのは、親がどこまで手を出すべきかに、すべての子どもに当てはまる正解はなかったということ。
「もう中学生なんだから、自分でやらせる」だけでもない。
「この子は苦手だから、親が全部やってあげる」でもない。
その子の状態や、置かれている環境に合わせて、関わり方を探していくしかないのだと思います。
ただ、私自身にも反省点があります。
それは、
心配するあまり、あれこれ言いすぎてしまったこと。
たとえば、
息子自分でやろうと思っていたのに、お母さんがうるさいから、やる気をなくした
…ありますよね、こういうこと。それを言われた私は、素直に反省するどころか、戦闘モードに突入。
わたしだったら、言われる前にやってよ!
と、言い返していました。
今思えば、息子には息子のペースがあったんですよね。
本人なりにやろうと思っていたこともあったはず。それなのに、私が心配になって口を出し、息子はやる気をなくす。すると、ますます私が心配になって口を出す。
そんな悪循環になっていたこともあったのだと思います。
サポートすること自体が悪いわけではない。
でも、心配するあまり、子どもが自分で動こうとするタイミングまで奪ってしまうことがある。
これは、私が子育ての中で学んだことの一つです。
桃太郎を一人で鬼ヶ島へ行かせることが、自立ではない
その後、息子は中高一貫校から通信制高校へ転学し、専門学校を経て、社会人になりました。
ここまでの道のりを振り返ると、自立に向かっていく過程は、ある日突然訪れたわけではありません。
少しずつ、じわじわと変化していったように感じます。
もし今、息子が桃太郎になって、
「ちょっくら鬼退治へ行ってくる!」
と言い出したら。
私は、きっと今でも、いろいろと質問すると思います。が、昔とは少し違うかもしれません。
必要なことを確認したら、
「困ったら連絡してね」
と伝えて、少し離れて見守る。
そんな関わり方が、できるようになった気がします。
もちろん、今でも心配はします。
でも、親が全部把握して、全部準備して、失敗しないように道を整えることだけが、子どものためではない。
かといって、何もかも本人に任せればいいわけでもない。
その間で、子どもの様子を見ながら、関わり方を変えていく。
それが大切だったのだと思います。
まぁ、渦中にいるときは、そんな先のこともわからないですし、「今」がすべて。周りは待ってくれないですからね。お尻を叩いてでも動かさなきゃと思う時期があるということも、また悩むところです。
発達凸凹の子育ては、手を離すタイミングもそれぞれ
長い子育てを通してきて考えてみると、
発達凸凹のある子どもは、周りの子と同じタイミングでできるようになるとは限らない➡むしろ遅い。
同じ年齢でも、できることと苦手なことが違う➡特に凸凹だから理解しにくい。
でも、昨日まで必要だったサポートが、今日はもう必要なくなっていることだってあります。
親としては、つい「まだできないの?」と思ってしまうこともあるけれど、子どもの成長に合わせて、親の関わり方も変えていく必要があるんですよね。
あの頃の私は、中高一貫校に入ったら、みんなしっかりしているんだから、ちゃんとさせなきゃ。
そんなふうに、周りと比べて力が入っていたこともあります。
でも、子どもの成長には、それぞれのペースがある。
親が手を離すタイミングも、それぞれ違っていい。
そう考えられるようになってから、私自身も少しだけ肩の力が抜けました。
子どもを一人で鬼ヶ島へ行かせることが、自立なのではない。
必要なときには助けを借りながら、自分で進める範囲を少しずつ広げていく。
そんな成長を、焦らず見守っていけたらいいなと思っています。



